「バカ」と共存する方法
この記事は、適当なタイトルでそれっぽいことを書いているが、正直に言えば目的は愚痴を吐き出すことだ。俺は弱い人間なので、ここで愚痴をこぼす。
はじめに
12月1日に車を手に入れた。母からのお下がりだ。ありがとう。
合わせてマンションの駐車場を契約した。月額1万円以上。高い。初期費用は2か月分と手数料(1か月分)で4万円を超えた。やはり高い。
まあ、車本体がタダなので贅沢な悩みではある。
だが、車を入手してから1週間ほど経った頃、駐車場でトラブルが発生した。それは、俺には到底理解できない行動をする者との遭遇だった。
実際に俺が体験した出来事をもとに、我々がいかにして「バカ」と付き合い、そして自らの中にある「バカ」を認めていくべきかについてまとめてみたい。
自分の駐車場に「カラーコーン」が置かれた
12月1日に駐車場を契約し、その日から車を停めていた。最初の数日は平穏だった。
しかし、12月6日(土)のこと。外出から戻ると、俺が契約している区画のど真ん中にカラーコーンが置かれていた。そこには「この駐車場は契約者以外の駐車を許可しません」と書かれている。
知っている。俺は契約者だ。とりあえず、コーンをどかして駐車した。
同日の夜、再び外出して帰ってくると、またコーンが置かれていた。風で移動したとか、誰かが間違えたという可能性は消えた。これは明確に、誰かがわざわざ俺の区画を狙ってコーンを置きに来ているのだという確信に変わった。
ここまで堂々と嫌がらせをされると、逆に「自分に落ち度があるのでは?」と不安になる。契約が完了していないのか?契約者だと示すステッカーか何かを掲示し忘れているのか?とりあえず管理会社にチャットで連絡し、モヤモヤしたまま返信を待つことにした。
翌日の日曜日。駐車場に行くと、俺の車が出られないようにコーンが置かれていた。しかも、車体に接触していた。
これは管理人の仕事ではないだろう。仮に俺が未契約だったとしても、車に傷がつくような置き方はしない。そもそも休日に管理人は来ないし、不備があればまずは連絡が来るはずだ。
つまり、これは同じマンションの住人がやっている可能性が高い。だが、そいつは、俺が本当に無断駐車なのか正当な契約者なのかを判断する材料など持っていないはずなのだ。
蝕まれるメンタル
俺は弱い人間なので、これだけのことでメンタルが削られる。
「コーンを置いているのは誰だ?」「もし鉢合わせたらどうなる?」「殴られたりしないか?」「いや、俺が手を出してしまったらどうしよう」「実は契約ミスだったらどうしよう」など、考えなくていいことまで延々と考えてしまう。
日曜の昼、車に接触していたコーンを移動した。そのとき、誰かに見られているような視線を感じた。
一度気になると仕方がなかった。マンションの入り口付近にいた2人組がスマホをこちらに向けているのを見て、「あのコーン置き野郎が俺の写真を撮っているのでは?」という被害妄想に囚われた。
その2人組は、マンションの周りをうろうろしながらマンションの方を伺っているようだった。俺は怖くなって、早々に部屋に戻ることにした。
ベランダから外を確認すると、彼らはまだうろうろしている。目的地がどこなのか見当もつかない、非常に不可解な動きをしていた。
今思えば、彼らはただ知人を待っていただけかもしれないし、内見に来ただけかもしれない。あらぬ疑いをかけて申し訳ないとは思うが、それほどまでに俺は参っていた。
別のタイミングでは、他の住人が「あの車、わざわざコーンをどかしてまで停めてるよ」と話しているのを耳にした。事実はその通りなのだが、事情を知らない人間から見れば、俺が悪者に見えるだろう。すべては、あのコーン置き野郎のせいだ。
俺は間違っていなかった
12月8日(月)の朝、チャットの返信を待たずに管理会社へ電話した。
結論から言えば、俺は一切間違っていなかった。契約は完璧に完了しており、特別なステッカーの掲示義務もない。
管理会社はすぐに対応してくれた。コーンの撤去と、全住人への注意喚起の掲示を約束してくれた。
コーン置き野郎の目線に立ってみる
さて、ここからは独断と偏見でコーン置き野郎の目線で考えてみる。実際のところはどうかはわからないが。
管理会社いわく、俺が契約した区画は、新築から数年間ずっと空き区画で、業者の荷台などが一時的に停めるスペースとして使われていたらしい。つまり、古参の住人からすれば「ここは業者用のスペースであり、一般車が停まっているのはおかしい」という先入観があったのだろう。
さらに、周囲の車は外国車やお高い車が多い。一方で俺の車は、お下がりの古い軽自動車で初心者マークをつけている。しかも、あろうことかバック駐車ではなく「前向き駐車」で突っ込んでいる。
「空きスペースに、マナーの悪そうな不審な軽自動車が居座っている」。コーン置き野郎は、そんな勝手なストーリーを組み立て、歪んだ正義感に駆られたのだろう。知らんけど。
誰もが「バカ」である可能性
今回のコーン置き野郎に限らず、世の中には他人の事情を想像せず、自分の正義を振りかざす奴が一定数いる。
もっと広義に言えば、世の中には「特定の能力が著しく欠如している(バカ)」がたくさんいる。この記事を読んでいるあなたも、そして俺自身も、何らかにおいてはバカであるはずだ。
例えば、視力が極端に悪い人は「視力」においてバカと言える。その人がお風呂でメガネを外し、目を細めて歩いていたら、周囲からは「睨みつけている感じの悪い奴」に見えるかもしれない。本人はただ必死に見ようとしているだけなのに、だ。
視力が良い人には、その苦労や意図は理解できないかもしれない。理解できないとき「目つきの悪い奴」と思うだろう。
折り合いをつけるということ
俺の目線では、コーン置き野郎はバカだ。だが、そいつの目線では、俺こそが無作法なバカに見えていたのかもしれない。
大事なのは、バカに対して感情のままに拳を振り上げることではない。「その区画は契約済みだから、コーンを置いてはいけない」という客観的な事実を周知させ、行動を改める機会を与えることだ。
同時に、自分自身も「自分が間違っているかもしれない」という疑いを持ち、正しく確認する努力を忘れてはいけない。管理会社に確認することが、バカの連鎖を止める手段だった。
自分がバカであることを認め、補う努力をすること。バカと出会ったときに、感情的に攻撃するのではなく、改善の道を与えること。お互い様だと思い、不要な衝突を避けること。俺は今、そう考えている。
まとめ
- コーン置き野郎の「歪んだ正義感」に、メンタルを削られた
- バカを攻撃するのではなく、お互い様だと思い、改善を意識する
- 俺は愚痴をこぼして満足した